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貸本マンガという存在は、この国の戦後マンガ史の流れの中では、それほど長大な命脈を保ったとはいえない。その実態的なものの精査はこれからの課題である部分が多いが、どんなにゆるやかな定義にあてはめたところで、「貸本マンガの全盛期はせいぜい五〜六年にすぎず、存続した全期間を通じても二十年前後で役割を終えたという境涯をもっている。その意味で、近代以降のマンガ史のほんの一部分を担ったものといってもいい。敗戦後に初めて登場した大衆文化のアイテムとしては、はかないといえばいえる。
しかし、出自としてはマンガという有力な大衆文化の中では下位の枝葉であったはずの「貸本マンガ」が、じつは現代につづくマンガ文化そのものを主導してきた事実を忘れてはならないだろう。その存在感の重さへの認識こそが、わずか二十年間という言い方で現代史に記録するだけでは済まされない、とわたし達に考えさせる理由であろう。
「貸本マンガ」の盛衰にかかわるさまざまな課題は、これまでにも多くの人たちによって、とりわけマニアックな手つきでとらえかえされてきた。しかし、そこにみられる、いわば歴史意識が希薄なままに行われるしょせん「穴掘り作業」では、たいていの場合、たんなる些末資料主義ないしは資料些末主義的な情報に執着するだけにとどまり、結局はマニア的自己満足を超えるものを生み出すことはできそうにもない。
いってみればマニアックな個別研究(と呼べるとして)のおちいりがちなそうした陥穽を埋める試みが、当研究会の本旨であるといっていい。端的に、そしていささかの自負をこめていえば、「貸本マンガ」の全容を戦後史的な視覚で記録し分析し、将来的には体系的な『貸本マンガ史』を書き上げるということになろうか。
一九九九年五月に結成された当研究会の創設メンバー五名(二〇〇〇年に一名増員)全員は、「貸本マンガ」の歴史のどこかの時点で、実際に貸本屋を足繁く利用した実体験を豊富に持っている。また、マンガを愛好するほかにも、さまざまな戦後大衆文化とともにいきためいめいの個人史の重みをに自覚している。したがって、ほかならぬ「貸本マンガ」がすぐれて戦後史的テーマであることを、みずからの問題として理解できている。これらの共通する関心と認識をてがかりに「貸本マンガ」について共同研究をしてみたいと考えたことが、本研究会発足の最大ポイントであった。
もちろんわたしたちは、実際に貸本屋で借りて読んだことのない者に「貸本マンガ」が理解できるはずがない、などというつもりはない。むしろ、そのようなたんなる経験主義や実感信仰は否定したい。つまり、すべての課題が個人的な体験から解析できるなどとは思っていないし、個人的な体験の枠を超える課題のむずかしさをむずかしいと認識するためにこそ、個人個人の体験の総和を大切にしたいと思っているのである。わたしたちが『貸本マンガ史』を考えるうえで、貸本屋体験をより有効に生かせると確信しているのは、その故にほかならない。
「貸本マンガ」を同時代に体験した者だけが、よく『貸本マンガ史』を書きうるわけではない以上、当研究会は同じ熱い志をもち、研究成果を謙虚に共有することのできる若い世代の参加も期待している(ちなみに、二〇〇〇年に加わった会員には貸本屋体験がない)。ある意味では、本誌はそのためのガイドにもなりうるのではないだろうか。興味ぶかい情報などとともに、わたしたちがなにをやろうとしているのかを汲み取っていただければ、本誌を刊行する意味はあったことになる。
(文責・梶井純)
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